破片の混入が確認できないのに食事を全部破棄できない
【検討事例】ミキサーが破損して破片が食事に混入
ある特別養護老人ホームで食事中に、利用者の口から分厚いガラスの破片が出てきました。利用者は唇を切り大騒ぎになり調べてみると、事故の原因は厨房で破損した大型のミキサーと判明しました。施設長が厨房の管理者に問いただすと、「ミキサーが落下して割れたが料理から3m以上離れていたので、破片は混入していないだろうと判断した」と言いました。利用者の家族からも大きなクレームとなり、早速再発防止策を協議しました。しかし、どんなケースでどのように判断しどのように対処したら良いか、具体的な対処方法が決まりません。どうしたら良いでしょう?
■なぜ最悪の結果を想定した対処ができないのか?
人は誰でも顕在化していないリスクに対しては、「リスクはない(低い)」という自分に都合の良い判断をしてしまいます。事故の発生が客観的に把握できていない状態、つまり「事故が発生したかもしれないし、発生していないかもしれない」という状況で、最悪の結果を想定して対処することができないのです。例えば、突然火災報知機が作動したとします。すぐには誰も避難しようとしません。報知器の誤作動の可能性があると思っているので、報知器を点検しようとするのです。しかし、報知器の点検に時間を要して誤作動かどうかなかなか判明しなかったらどうするでしょう?もちろん、煙でも見えれば誰もが大慌てで避難するでしょうが、何の変化もなければ本当に火災が起きていると考えて避難する人は稀です。
つまり、事故の発生が明確になっていない時点で、最悪の結果を想定して対処を行うことは極めて難しいのです。ですから、どのような場合に最悪の結果を想定した対処をすべきかをルール化して、人の甘い判断が入り込む余地を排除しなければ、正しい対処行動はとれないのです。特に、最悪の結果を想定した対処に費用が伴うケースや、人の手を煩わせるようなケースでは、“空振り”を恐れて判断が甘くなります。「誤えんしたと考えて救急車を要請したが、救急車が到着する前に回復した」というような“空振り”を許容し、“空振り”が起こるからこそ絶えず安全が維持できると考えなくてはなりません。
ですから、本事例でガラスの破片が料理に混入したという最悪の結果を想定した対処判断ができなかった厨房の管理者を責めても意味がないのです。食器や調理器具の破損は起こる可能性があるのですから、対処をルール化していなかったことが事故の原因なのです。
対処判断に迷う顕在化していないリスク
ところで、本事例以外にも対処判断に迷うようなケースは施設内の事故でもたくさん起こっているのです。そのほとんどが、対処する職員の判断に任されてしまっており、ルール化されていません。あなたは次のような場面で最悪の結果を想定した対処を判断できますか?
・利用者が見当たらない→施設内にいるかもしれないし、施設を抜け出しているかもしれない。
・利用者がお風呂で溺れた→肺に浴槽のお湯が侵入したかもしれないし、侵入していないかもしれない。
・転倒して床に転げていた→頭部を強打しているかもしれないし、していないかもしれない。
・利用者が誤えんした→タッピング・吸引で回復するかもしれないし、しないかもしれない。
■食器や調理器具破損時の厨房の対処ルール
では、本事例のように食器や調理器具の破損が発生した場合、どのような対処ルールを決めたら良いでしょう。問題は調理済みの料理をすべて廃棄すれば、利用者に料理が提供できなくなりますし、食材の廃棄や替わりの食事手配などで金銭的な損害も覚悟しなければならないことです。例えば次のようなルールを作ってはどうでしょうか?
① 食器やガラス類が破損したら(床への落下でも)、破損場所から3m以内の食材と料理を廃棄する。
② 3m超離れた食材や料理は2人で目視チェックし、混入が確認されたら全ての食材と料理を廃棄する。
③ 調理台より高い位置で破損が起こった場合は、厨房内の食材と料理を全て廃棄する。
④ 厨房内事故により食事の提供が不可能な場合には、レトルト粥など災害備蓄の保存食を提供する。
最悪のケースでは、調理済みの全ての食事を廃棄することもあり得るのですから、替わりの食事のためのレトルト食品などの備えも必要になるのですが、これは災害備蓄を使用すれば良いのです(災害備蓄食料も消費期限がありますから、新しいものに買い替えれば良い)。本事例のように最悪のケースを想定して万全の対処を行う時に、金銭的な損害を伴うケースでは、管理者や経営者などトップが率先して「金銭的な損害より事故の危険除去を優先する」という姿勢を示してルール化をしない限り、現場で適切な判断は絶対に期待できません。
■空振りを容認して安全を優先する風土
また、前述のように「最悪のケースを想定して対処をしたが何も起こらなかった」という“空振り”を容認して、安全を優先する風土を定着させないとこのようなルールを作ってもルールを守らなくなり機能しなくなってしまいます。東日本大震災で「1時間後に10mの津波が襲ってくるかもしれない」という情報によって、96人の利用者と48人の職員が迅速に別の場所に避難し、一人の犠牲も出さなかった特別養護老人ホームがあります。
この特養は、前年のチリ地震で5mの津波警報が出た時も全員避難したそうですが、その時は50㎝の津波しかやって来なかったそうです。つまり、せっかく苦労して全利用者を別の場所に避難させたのに、“空振り”だったのです。当然職員の中には「もっと正確な情報を待ってから行動すべきだったのではないか?」と疑義を唱える者もいたそうです。ところが、この時に事務長が「いい避難訓練だったと思えばいいじゃないか。正確な情報を待っていたら逃げ遅れて津波に飲まれるかもしれない。何度空振りしてもいいと考えれば確実に全員の命が助かるんだよ」と言ったそうです。
そして、現実に翌年の東日本大震災では、その特別養護老人ホームの地区には10mの大津波警報が出ました。防潮堤の高さは7mですから情報が正しければ津波に襲われます。この時警報発令からたった5分後に、職員全員で仙台空港ビルの3階に利用者を避難させると決めたそうです。判断が遅れたり津波の高さを過小評価していたら、職員も利用者も助からなかったかもしれません。“空振りを許容しても安全を優先する”という考え方を、職員全員が共有できていたので多くの命が救われたのです。