意識を高めるにはヒヤリハット活動とKYT(危険予知トレーニング)が最も効果的という施設長

介護事故のリスクを視覚的にとらえることは難しい

【検討事例】
特別養護老人ホームのM施設長は、大変熱心に事故防止活動に取り組んでいるのですが、なかなか事故が減りません。そればかりか2ヶ月間で3件の転倒骨折事故が起きて、本部からも対策を立てるように言われ頭を悩ませています。3件の転倒骨折事故はいずれも施設職員の極近くで起きていることから、M施設長は職員の意識が低いことが原因と考えました。施設長は職員の意識を高めるためには、ヒヤリハット活動を徹底することが重要と考えてヒヤリハットシートを週に3枚提出することをノルマとしました。また、危険予知の能力を高めるためには「KYT(危険予知トレーニング)」が最適の訓練だと考えて、月1回KYT研修会を開催することにしました。
■なぜヒヤリハットシートを書いても事故が減らないのか?
ヒヤリハット活動をやっても事故が減らない施設がたくさんあります。その原因はヒヤリハットシートを漫然と書いているだけだからです。ヒヤリハット活動には様々な問題があります。まず、どのような場面をヒヤリハット事象(インシデント)としてシートに記入するのか判断基準すらありません。ヒヤリハットシートを書けば、危険に対する感性が磨かれるという人がいますが、危険の判断基準は職員任せです。たとえば、心配性なA職員は歩行不安定な利用者が立ちあがりそうになっただけで、「危ない」と判断して座らせますが、鷹揚なB職員は立ちあがって歩き出して転倒しそうになってから「危ない」と判断して支えようとします。
次にヒヤリハットシートを書いて提出するだけで、書いたヒヤリハットシートの内容を分析していません。つまり、ヒヤリハットシートが事故防止に活かされていないのです。ヒヤリハットは「事故に至らなかった危険な事象」ですから、これを分析して事故に至る前に防止対策を講じなければなりません。ところが、ほとんどの施設でヒヤリハットシートは管理者のバインダーに眠ったままで、原因分析や防止対策の検討をしている施設は稀です。事故発生時の事故カンファレンスと、月1回のヒヤリハットカンファレンスで防止対策の検討をしなければ、ヒヤリハット活動の効果はあがりません。
■ヒヤリハット活動の効果は検証されていない
 そもそもヒヤリハット活動は、介護の事故防止活動に効果があるのでしょうか?あまり検証されていないので少し考えてみましょう。ご存知の通り、ヒヤリハット活動の根拠になっているのは、ハインリッヒの法則です。「一件の重大事故の裏には、29件の軽微な事故、そして300件のヒヤリハット事例がある」と主張したのが、ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒです。
 ハインリッヒは、75,000件の労災事故のデータ分析を基にレポートを発表し、98%の事故は回避可能なものであり、88%は労働者の不安全行動、10%は不安全環境が原因であるとしました。続いて、前述のハインリッヒの法則をあげて、「労働災害は不安全行動と不安全環境の是正によって防止可能で、その取組方法として1件の重大事故の背後に潜む300件のヒヤリハットを収集して事故の芽を摘むべき」としたのです。
ここで重要なのは、労災事故では「不安全行動と不安全環境の是正」という事故防止方法があらかじめ分かっていたので、ヒヤリハット活動が効果をあげたのです。逆に言えば事故の防止方法が明確になっているからヒヤリハットは効果があったということです。しかし、介護事故の場合、事故防止の方法がほとんど明確になっていません。転倒のヒヤリハットを収集しても、転倒事故の防止方法が明確になっていなければ転倒事故は防げません。事故防止方法を確立することがヒヤリハット活動の前提なのです。
■リスクの是正方法(事故防止の具体策)が必要
労災事故の場合、事故の発生主体は労働者であり事故原因も労働者自身の不安全行動が約9割ですから、労働者の安全ルールの徹底や安全予測などの安全教育によって、そのリスクが是正可能です。例えば、作業靴の靴紐をきちんと結んでいなかったために高所で転倒しそうになるヒヤリハットが発生すれば、作業前点検において靴紐を点検することで事故を未然に防止できます。
しかし、介護事故では転倒事故を起こす主体は利用者で、そのリスクを是正するのは介護職員であって利用者自身ではないのです。利用者自身の不安全行動を利用者の安全教育によって是正する訳にはいきません。つまり、利用者に発生するリスクを是正する方法があらかじめ明確になっていないのに、ヒヤリハット事象の収集だけやっていたのです。ですから、危険な場面にどのように対応してリスクを是正(事故を防止)したら良いのか、具体的な防止方法をもっと研究しなければならないのです。
■KYT研修で効果をあげるためには
イラスト場面図を使ったKYT(危険予知トレーニング)が、事故防止に効果があるとして事故防止研修に導入する施設があります。本当に効果があるのか大変疑問です。イラスト場面図で発生する危険を予知して対策を討議することで、危険を発見する感性が養われるとは思えません。なぜなら、イラスト場面図に描かれている利用者の身体機能や認知症についての情報が全くないからです。例えばよく見かける入浴場面のKTYシートに、男性の利用者が描かれています。その利用者の身体障害の状況はどの程度なのか(障害高齢者の日常生活自立度)、認知症の状況はどの程度なのか(認知症高齢者の日常生活自立度)、何の情報も無くその利用者の危険をどうやって推測したら良いのでしょうか?
実はKYTという事故防止訓練の手法が効果を発揮するのは、労災や交通事故などの事故に限られていて、全ての事故防止活動に効果がある訳ではないのです。建設現場で資材や工具などの整理ができていなければ、躓いて転倒する危険があることが視覚的に判断できます。生活用道路で道の脇からサッカーボールが飛んでくれば、その後から子供が飛び出してくる危険があることが視覚的に判断できます。
しかし、介護現場で起こる利用者の事故のほとんどが、利用者に内在する原因によって起きますから、その利用者の身体機能や認知症の状況、基本動作やADLなどの情報から判断しなければならないのです。ですから、入所時のアセスメントシートの項目は細部まで多岐に亘りますし、運営基準にも「その者の心身の状況、生活歴、病歴、等の把握に努めなければならない」と書いてあるのです。KYT研修を否定する訳ではありませんが、せめてイラスト場面図に出てくる利用者の心身の状況くらいは細かく設定して危険について討議してはどうでしょ

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