「Mに“はたかれた”」と職員を名指しで虐待を訴える利用者、対応が遅れ市に虐待通報

高齢者施設で虐待事件が起きた時の対応

【検討事例】ある特養で職員の虐待を訴える事件が起きました。軽度認知症の女性利用者Sさんが「Mにはたかれた、見ろ、はたかれた跡や」と顎を示して、職員を名指しで主任に訴えてきたのです。確かに顎に少し赤みがかった跡らしきものがあります。M職員(男性)は日頃から言葉遣いや振舞いに少し問題があったため、主任は「もしかしたら」と考えすぐに施設長に相談しました。
施設長はすぐにM職員を呼んで、「Sさんが“Mにはたかれた”と言っている。顎に跡も付いている。どうなんだ?」と問いただしました。M職員は「虐待なんてする訳がありません。Sさんは認知症がありますから、自分でぶつけたのを勘違しているんじゃないですか?」と否定します。
施設長は主任と相談員を呼んで対応を相談しました。主任は「M職員は荒っぽい性格だから虐待の疑いがある。すぐに通報すべきだ」と言います。相談員は「認知症のある人の訴えを信じる訳にはいかない。家族と話し合って対応すべきだ」と言います。施設長は「証拠も無いのに虐待と決めつける訳にもいかない」と迷い、対応方針が決まりません。
このように施設長室で相談をしていると、面会に来た娘さんがSさんの訴えを聞き施設長室にやってきました。「父が職員に“はたかれた”と言っている。虐待じゃないか!」と大変な剣幕です。施設長が「今職員に事情を聴いていますので」と言うと、娘さんは「父は多少認知症はあるけど大事なことを間違えたりしない。本人がMだと言っているんだから間違いない」と主張します。娘さんは自ら市に虐待通報し「施設は虐待を隠そうとしている」と言いました。
■なぜ虐待通報されてしまったのか?
 本事例では、本人からの訴えを施設で把握していながら、「家族からの虐待通報」という最悪の事態になってしまいました。では虐待の訴えがあった直後にどのような対応をするべきだったのでしょうか?重要なことは「迅速な事実確認と家族連絡」です。
 まずは迅速に事実確認を行わなければなりません。訴えがあった時点で施設長が直接利用者と職員双方から詳しく事情を聴き、口頭で家族に連絡します。本事例のように対応を相談してボヤボヤしていると、本人が面会に来た家族に訴えてしまいます。家族は施設からの報告よりも本人の訴えを先に聞けば「なぜすぐに家族に報告しないのか?隠そうとしているのだろう」と隠ぺい工作を疑います。家族には訴えがあったことを迅速に連絡しなければなりません。
 次に、利用者と職員双方から聞き取った記録を家族に示して説明し、施設としての対応方針を説明します。虐待の疑いへの対応で最も重要なポイントは、この施設の対応方針をていねいに説明することです。施設の対応方針を家族が納得すれば、対応方針通りに調査などの対応を進めていきますが、市にも連絡を入れておきます。家族と協議した対応方針を書面で送り、調査結果について報告すると連絡します。家族には施設が隠すことなく公明正大な対応を行うことを理解してもらえば、当面大きな混乱は避けられます。
■虐待の訴えに対する対応手順はあらかじめ決めておく
 どの施設でも利用者からの虐待の訴えが起こることは考えられますが、この時の対応を決めている施設はほとんどありません。本事例のように訴えの直後にモタモタして、適切な対応ができなくなってしまいますから、あらかじめ対応手順を決めておく必要があります。次の通り対応手順をまとめましたので参考にしてください。

・訴えの直後に利用者、職員双方から事実を聴き取り記録する。
 訴えの信ぴょう性を評価する必要はありませんから10分程度で迅速に行います。
・他の職員や利用者などから目撃情報などを聴き取り記録する。
その場に居合わせた職員や他の利用者などにも、心当たりが無いかを確認します。
・利用者と職員への聞き取り後速やかに家族に連絡する
「利用者から職員による虐待の訴えがあったのでこれから調査などの対応を行うので、対応方針を説明したい」と連絡します。
・利用者と職員の聴取記録から被害事実の信ぴょう性について家族と協議する。
たとえ認知症があっても被害の訴えが事実である可能性は高いので、訴えの信ぴょう性の評価は家族の判断に従う。
・被害事実の可能性が高いと判断すれば、事故と虐待の両面から調査を行う。
「“職員の手がぶつかった”という事故を、利用者が虐待と誤解するケースは良くありますから、虐待の有無だけではなく事故事実を綿密に調査します。
・役所や警察への通報について説明する
「施設で調査を行って虐待の事実が判明すれば、施設から市や警察に虐待通報をしますが、現時点では市に連絡を入れ随時報告を入れます」と説明します。
・疑惑のある職員の処遇について説明する
当面は被害を訴えている利用者の不安に配慮し、虐待疑惑のある職員の職場を変更します。
・調査の期間は3日~5日程度として調査を行い施設の判断を家族に伝える。
必要な調査を行い職員による虐待の可能性を家族に報告します。虐待の可能性が極めて高い場合は、証拠が無くても「虐待の事実があった」と判断して報告します。
・虐待と判断した場合は役所に報告し、場合によっては警察にも通報します。
市への報告は施設の義務であり、警察への刑事告発は家族の判断であることを家族にはきちんと説明しておきます。
・虐待の事実が判明した時は、職員の懲戒処分を行い家族に説明する。
法人の懲戒規程に則って適切に行うことを説明する。
■虐待の事実が確認できなかったら
 施設では利用者と職員の聴取記録や、他の職員や利用者への聞き取り、また日頃の職員の勤務態度や過去の賞罰などを調査し、最終的な結論を出します。職員が虐待の事実を認めればすぐに決着しますが、ほとんどの場合職員は否定しますから実際はそれほど簡単ではありません。
たとえ、職員が否定しても客観的に判断して虐待の可能性が極めて高いと判断されれば、施設は虐待が発生したと判断して家族に説明し、通報などの対応を行わなければなりません。施設から警察に職員を刑事告発することもあります。
 では、虐待の可能性が極めて職員が頑強に否定したらどうすれば良いでしょうか?証拠も無いのに懲戒処分にすれば、懲戒権の濫用として労働者への人権侵害となりますから注意が必要です。多くの場合、懲戒処分を行わずに他の職場に異動ということが考えられます。

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