インフルエンザ感染で肺炎を起こして利用者が死亡、感染症対策の強化を迫る本部

施設の感染症対策はウイルスの侵入防止対策だけで良いか?

《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
特別養護老人ホームS苑では、例年のように10月の幹部会議で、冬季の感染症対策が議題となりました。昨年S苑では、ノロの感染者22名とインフルエンザの感染者8名を出し、他の施設に比べて対策の不備が露呈しました。その上、インフルエンザの感染者が入院し、持病の悪化で亡くなるという事態となり、家族と大きなトラブルに発展していましたため、本部からも対策の再徹底を求められています。会議では昨年の感染症対策を振り返り、検証することにしました。
さて、S苑では昨年の感染症対策として「11月から3月まで感染症対策期間として施設外部からの感染症の侵入防止を徹底する」ことを方針として、次のような具体的な対策を実施していました。
①家庭用加湿器による居室の加湿を徹底して行う
②家族の面会は極力控えてもらい、面会場所は居室とする。
③提供する食事はサラダを除き加熱調理された料理とする。
④面会者や職員は薬用ハンドソープによる手洗いと手指消毒剤による殺菌を徹底する。

《事例検討解説》
■感染症対策は“感染症の侵入防止”だけではダメ
S苑が昨年の感染症対策で失敗した原因は、感染症の施設への侵入防止のみにシフトし過ぎて、他の重要な対策を怠ったことにあります。感染症リスクへの対策は、感染することのみを防止しようとしても失敗します。人は生活している限り他者との接触をゼロにすることは不可能ですし、過度の感染防止対策は生活行動の制限につながります。感染症対策は、「感染」「発症」「重症化」という3つのリスクに分けて、効率的効果的な対策を講じなければ成果は期待できません。
①感染リスク対策
 体内へのウイルスの侵入(感染)を防ぐ対策で、ウイルスとの接触を防ぐ感染機会対策と、体内へのウイルスの侵入を防ぐための衛生行動対策に分かれます。具体的には、発症者との接触を避ける、媒介者に衛生行動を促す、本人の衛生行動による体内侵入防止が有効です。また、施設内に発症者が出た時の、施設内感染対策は非常に重要です。
②発症リスク対策
 体内にウイルスが侵入した時に、発症を抑制する対策です。具体的には、ワクチンの接種や免疫力維持のための低栄養防止対策などです。
③重症化リスク対策
高齢者施設には、インフルエンザやノロを発症した時、生命の危険に直結する利用者がいます。このような利用者が発症した時重症化を防ぐ対策です。具体的には、肺炎の併発を防ぐ肺炎球菌ワクチンの接種や、持病悪化への配慮です。
 S苑が「感染症防止対策の徹底」と打ち出した方針は、感染リスク対策の接触機会を減らす対策だけだったのです。

■感染・発症・重症化の3つのリスクに分けて対策を講じる
S苑の対策は、「施設にウイルスを入れない」という漠然とした対策で、ウイルスの特性に基づいた科学的根拠のある対策になっていません。面会の家族は感染症を発症していない限り、面会時に感染する可能性は極めて低く、面会時の手指消毒さえ徹底すれば面会を制限する必要はありません。また、家庭用加湿器を居室に配置しても、インフルエンザウイルスの不活性化に必要な40%以上の湿度は得られませんから、加湿した居室で面会しても感染防止の効果はありません。
 ここで、インフルエンザを例にとってウイルスの特性に基づいた対策のポイントを、「感染リスク」「発症リスク」「重症化リスク」の3つに分けて考えてみましょう。
インフルエンザ感染防止対策のポイント

■感染リスク対策とは?
a感染機会対策
インフルエンザウィルスの感染の特徴はそのほとんどが飛沫感染(飛沫核感染)と、飛沫の付着した手指による接触感染です。感染機会を減らすには、「発症者との接触を避ける」「発症者と接触した人の手指消毒」などの対策を徹底することです。
〇施設外での発症者との接触
人混みに行く機会のない施設入所者にとって、発症者との感染リスクの高い場所は病院の待合室です。狭い待合室の密閉空間では、飛沫核感染の危険も高くなります。受診の際は待合室での長時間滞在を避け、送迎車内で待機するようにします。
〇面会者による感染
 発症している者との面会は禁止し、未発症の保菌者からの感染を避けるためマスクの着用と手指消毒を徹底します。また、発症者と接触した媒介者からの感染を避けるため手指消毒と面会前の上着の〇〇をお願いします。
〇職員からの感染
 発症している職員もしくは自覚症状がある職員は出勤停止とします。休みは有給休暇とせず「感染症防止対策休暇」を設けます。職員は出勤時にユニフォームに着替えた後に手指消毒を行います。
b体内侵入防止対策
 ウイルスに接触した時、体内に侵入させない対策です。インフルエンザウイルスは上気道(鼻腔から喉頭まで)から体内に侵入する特性があり、特に粘膜が乾燥すると感染しやすくなります。「上気道への侵入対策」と「上気道の防衛機能対策」が有効です。
〇本人の手指消毒
 衣服や手に付着したウイルスを上気道に侵入させないために、利用者自身の手指消毒とうがいを徹底します。顔の鼻と口の付近をウエットティッシュで拭くことも効果があります。
〇上気道の粘膜防衛機能強化
 上気道の粘膜が乾燥しないように、居室を加湿する、マメにお茶の飲む、脱水を避ける、うがいをするなどの対策を心掛けます。特に口腔内を乾燥させる薬(利尿剤、三環系抗うつ剤、交感神経遮断剤、抗ヒスタミン剤など)を服用している人は要注意です。緑茶でうがいをすると、過失と除菌の効果があるので一石二鳥のようです。
c感染者発生時の施設内感染防止対策
 施設内に発症者が現れた時、他の利用者への感染を防止する対策です。感染者の居室の衛生レベルを上げて厳重に管理します。一方で、他の利用者への感染防止対策の強化を図ります。施設は最初の発症者の感染に対する責任は問われないと考えられますが、施設内の感染対策の不備で他の利用者に感染し被害が出れば、確実に責任を問われると考えて下さい。
〇発症者の居室
 発症者の居室が多床室であれば発症者は個室に移しますが、アルコール製剤で居室の拭き掃除を徹底し、同室の利用者は2日程度しっかりバイタルチェックをします。発症者が移った個室は認知症の利用者などが出入りしないように注意します。また、発症者の居室付近に重度者の居室がある場合には、衛生管理の徹底を図ります。
〇低免疫力者に対する配慮
 胃ろうなど重度で寝たきりに近い利用者が、昼間から総入れ歯を外して仰向けで口を開けている光景を目にします。口が閉まらず口腔内がカラカラになれば、上気道も乾燥して感染リスクが高くなってしまいます。総入れ歯は外すと口腔内で舌が喉に落ちて(舌根沈下)口が閉まらなくなりますから、胃ろうでも総入れ歯を外してはいけません。

■発症リスク対策とは?
体内にインフルエンザウイルスが侵入しても、誰もが発症する訳ではありません。免疫力が高ければ発症するリスクは低く免疫力が低ければ発症しやすくなります。高齢者の中でも、糖尿病などの持病により免疫力が低下していたり、低栄養や寝たきりなどでも免疫力が低下しているので注意が必要です。逆に、ワクチン接種によって免疫力を高めて、発症を抑制できる場合があります。
・インフルエンザ予防ワクチンの接種
インフルエンザワクチンを接種しても、完全に発症を防げる訳ではありませんが、重症化を防ぐ効果もあるとされ、自治体などで補助を行っていますから接種すると良いでしょう。
・通常の生活習慣を維持
免疫力を維持するには「平素と変わらない規則正しい生活」と言われています。「大勢集まって食事をすると危険だ」などと言って、居室配膳などに切り替えるとかえって部屋から出なくなり、活動性が低下し免疫力が低下します。
・低栄養の防止
感染症流行の期間は、好きな食べ物を積極的に提供して食欲を増進したり、カロリーを高めにするなど、低栄養防止への配慮をして感染に備えている施設もあります。高齢者が体調を崩す原因の最も大きいものが、食欲の低下による低栄養と水分接種不足です。
・ヨウ素系うがい薬は免疫力を下げる?
 最近では「ヨウ素系うがい薬の使い過ぎは、口腔内の常在菌も殺菌してしまうので免疫力が低下し逆効果」という意見も出てきています。その真偽はともかく、京都大学医学部の調査によれば、1日3回以上うがいをすることでインフルエンザの発症率は40%低下しましたが、ヨウ素系うがい薬でも同じだったそうです。水でうがいするだけで十分効果はあるようです。

■重症化リスク対策とは?
低栄養などで免疫力・体力が低下している利用者は、インフルエンザを発症した時、重症化して命にかかわることがあります。ですから、このような重症化リスクの高い利用者に対しては、他の利用者と区別して重症化を防ぐ対策が必要になります。高齢者施設で最も注意すべき重症化リスクは「肺炎の併発」と「持病の悪化」です。
・肺炎球菌ワクチンの接種
インフルエンザに感染して亡くなる高齢者でも、肺炎の併発で亡くなっている人が多く、その80%は肺炎球菌の感染が原因です。ですから、肺炎球菌ワクチンを接種することで、インフルエンザに感染しても肺炎を防げるケースが多いのです。
・他の利用者より高い衛生水準
もし、胃ろうで寝たきりの要介護度5の利用者と、認知症で徘徊する利用者が同室だったら家族はどのように感じるでしょう。やはり、寝たきりの利用者は別の居室の方が良いと考えるでしょう。病院でも、感染症への免疫力の低い患者とそうでない患者は、居室などを分けています。最近の施設では、医療処置が必要な利用者が増えているのですから、特別な衛生管理水準の必要な利用者はやはり環境を分けることが必要になるでしょう。
・発症の兆候が出にくい低免疫力者
胃ろうや寝たきりのような低免疫力者は、インフルエンザに感染しても特徴的な症状が出にくいために、発症に気付くのが遅れて重症化する例もあります。ですから、低免疫力者に対しては頻回にバイタルチェックを行い、発症の兆候を迅速に発見し受診につなげている施設もあります。

★薬用ハンドソープの殺菌効果は疑問?
 最後に、注意点すべきポイントを一つ追加します。「消毒・殺菌」と表示している薬用ハンドソープの殺菌効果に疑問が持たれています。厚生労働省は昨年9月に薬用石けんの殺菌成分であるトリクロサンを1年以内に他の成分に替えるよう業界団体に通知しました。これは昨年9月にアメリカのFDAがトリクロサンに対して、「殺菌効果が通常の石けんと比べて優れた殺菌効果があるとはいえず、かえって免疫系に悪影響を及ぼすおそれがある」として販売停止を命じたことに対応したものです。厚労省の通知を受けて日本の石けんメーカーは、トリクロサンを他の殺菌成分に変更したということです。
 一部の病院では以前から「薬用ハンドソープの殺菌力を過信して、ていねいな手洗いを怠っている」として問題視していますので、高齢者施設でも石けんと同じていねいな手洗いが必要であることを再認識して下さい。

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