できない事故防止対策を計画書に書いて良いか?
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デイサービスの利用者Aさんが送迎直前に椅子から立ち上がり、転倒して骨折しました。Aさんは突然椅子から立ち上がりそのまま前方に転倒し腕を骨折したのです。デイルームには職員が4名居ましたが、誰も転倒場面は見ていませんでした。転倒の後すぐに会社勤めの長女に連絡を入れて、受診に同席していただきました。診察の後に相談員が長女に次のように事故状況を説明しました。「いつも“立ち上がる時には声をかけて下さい”とお願いして、そうしていたのに今日は声をかけずに突然立ち上がり転倒したので対応できなかった」と。すると長女は「通所介護計画では“歩行は常時見守り必要”となっている。見守ってくれなかったから転倒したのでしょう!」と強い不満を述べました。
翌日所長が長女宅を訪問し、「介護計画書に“常時見守り必要”とあるのは、できる限り見守るということで、今回のように職員を呼んでくれないと防げない場合もある。それに、ヒールのある靴は危険なのでリハビリシューズにしていただきたいと以前申し上げましたが」と理解を求めました。しかし、長女は説明に一切耳を貸さず「私は勤めがあるのだから、通院の付き添いはデイサービスですべきだ」と主張します。通院の介助のみ仕方なく承諾しましたが、数日後に長女は市に苦情申立を行い、「“転倒しないように見守る”と言っていたのに約束が違う。転倒したのを履物のせいにしている。私の休業補償も出すべきだ」と書いてありました。
《事例検討解説》
■過失を明確にせずに理解を求めてはいけない
多くの施設や介護事業者は事故が起きた時、過失の有無や賠償責任の判断をうやむやにしたまま、事故の説明に臨んでしまいます。「対応が難しい事故であると理解を求めるがなかなかご理解をいただけない」というように、精一杯努力したことをアピールして理解してもらおうとしますが話は前に進みません。介護や福祉関係の方は、相手と対立することを避けようとする傾向があり、相手の意に沿わないことをはっきり言いたがらないのです。しかし、事故で実損害が出ている以上、施設に過失のある事故なのかどうかが、交渉の大前提になりますから、この判断を避けて通ることはできません。
では、この事故は施設の過失になるのでしょうか?Aさんの転倒事故は施設が安全配慮義務を怠ったために起きた事故なのでしょうか?過失の判断は予見可能性と回避可能性の2つの基準で判断されますから、椅子から立ち上がり転倒することが予見できたのか?予見できたとすれば転倒を回避することが可能であったかという点を判断しなければなりません。Aさんが突然立ち上がり転倒することは予見することも回避することも現実的には不可能であり、この事故は施設の過失とはなりませんから、本来であれば賠償責任は生じません。
ところが、この事故は施設側に過失がないのに賠償責任は発生するという珍しいケースなのです。事故に関して施設の過失がないのに賠償責任が発生することは通常はあり得ません。では、なぜこの事故は賠償責任が発生するのでしょうか?その理由は、介護計画書に“歩行は常時見守りが必要”と記載してしまったからなのです。
■介護計画書に記載してできなかれば契約違反
「介護計画書は契約書と同等の法的拘束力がある」というのが、法律の専門家の一致した意見です。つまり、「常時見守りを行う」と書いてしまえば、たとえ実行が無理な事でもこれを怠って事故が起きれば債務不履行(契約違反)として賠償責任が生じるのです。ですから、介護計画書には実際にはできないことを気合で書いたり、誤解を招くような曖昧な表現は避けなければなりません。ところが、実際に介護計画書をチェックしてみると「絶えず注意を怠らないようにする」「見守りを欠かさないよう職員間で徹底」など、曖昧な表現や厳密にはできないことがたくさん書いてあります。
Aさんの長女は「歩行は常時見守り必要」と介護計画書に書いてあったので、絶えず職員が見守ってくれるのだから転倒は防げると受け取ったのです。介護計画書にリスクや事故防止対策を記載することは良いことですが、防げない事故を防げると誤解させるような文章では逆効果です。では、介護計画書に事故のリスクや防止対策について記載する時にはどのように記載したら良いのでしょうか?「リスクを具体的に記載すること」「職員が実際に行う事故防止の取組を具体的に記載すること」の2点がポイントになります。(モデル参照)
■通院の介助など“自前補償”は更に大きなトラブルとなる
次にこの転倒事故では、事故後に長女から「通院の付き添いはそちらでして欲しい」という要求を受け入れてしまいました。通常事故の補償は全て金銭で賠償します。ところが、介護事業者は自らの役務の提供で、事故の補償をしようとするケースが多いので注意が必要です。ショートで事故に遭った人を無料で入所させてお世話をしたり、施設でケガをした人を無償で併設の病院で治療するなど自らの役務の提供で補償するのです。
このように自らの手で補償することで誠意を見せようとする意図があるようですが、“自前補償”といって様々な弊害が生じています。まず、金銭の補償であれば一定の節度がある要求も、自前補償をすると「あれもこれも」と要求がエスカレートする傾向があります。事業者側の誠意が贖罪の証のように受け取られて、「もう少しやってもらっても当たり前」という気持ちにさせるようです。
また、施設で起きた事故の補償として入所させて介助していたら、再度足に傷がついてクレームとなり退所を促せなくなり長期間無償で預かった事例もあります。補償の実行については利用者側の自己責任で別の事業者を手配をしてもらい、かかった費用を金銭で支払った後に損害保険金の請求を行うべきなのです。
■安全な履物はリハビリシューズではない
このデイサービスでは「安全なリハビリシューズを替えるようお願いしたのに、ヒールのある靴を履いきたことも事故の原因だから利用者側にも落ち度がある」と言いたいようです。しかし、ヒールのある靴は危険なのでしょうか?リハビリシューズは安全なのでしょうか?ある老健で次のような事故がありました。
ある利用者がショートステイの入所の時にスリッパを履いてきたのです。老健側です「スリッパなんてそんな危険な履物はダメ!」と決めつけて、リハビリシューズに履き替えさせましたが、その3分後に転倒して骨折してしまいました。怒ったのは家族です。なぜなら、その利用者は居宅で毎日スリッパを履いているのに転ばないのですから。ゴム底の靴は施設のビニル床材と相性が悪く突っかかって転ぶことが多いのです。履きなれない人にとっては歩きにくく大変危険なのです。
安全な履物は通常「日頃から履き慣れている靴」であり、家族の納得も得やすいのです。ですから、施設側が一方的に決めつけるのではなく、「履き慣れた靴が安全な歩行には欠かせませんので、履き慣れた安全な靴でご来所いただくようご家族の配慮をお願いします」と、家族に依頼してお任せすれば良いのです。