外注の厨房業者に責任を押し付けて良いか?
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Hさん(88歳女性)は要介護度4の老人保健施設の入所者で重度の認知症があります。ある日、昼食のカレーライスを自分で食べていましたが、突然口をモゴモゴし始めました。不審に思った職員が調べてみると、Hさんの口から厚さ5mm大きさ2㎝四方のガラスの破片が出てきました。口腔内を調べると舌を3㎝ほど切って出血しています。職員はすぐにガラス片を取り除き、看護師を呼びました。
傷は浅く看護師は救急搬送の必要は無いと判断し、止血のためにガーゼで舌の表面を強く押さえました。Hさんが暴れて処置に手間取りましたが、10分ほどで止血ができ軟膏を塗りました。看護師は「口を良く洗って清潔にして」と言って職員に任せ、相談員が家族に連絡して謝罪し、「止血したので大丈夫」と説明しました。ところが、2時間ほど経ってまた傷口が開き出血したため、家族連絡の上総合病院の口腔外科を受診し、炭酸ガスレーザーによる治療で比較的簡単に治療が終わりました。
家族は、食事にガラスの破片が混入してケガをしたことに強く抗議し、事務長は謝罪した上で「厨房でミキサーを破損したことが原因。給食事業者に二度とこのようなことが起きないよう厳しく注意した」と説明しました。Hさんは、その後痛みで食事が摂れなくなり、施設では鎮痛剤と安定剤を処方して2日ほど点滴で様子をみましたが、しばらく経鼻経管栄養で傷の回復を待つことにしました。
ところが、経鼻経管にした4日後に急性肺炎で緊急入院し、5日後に亡くなりました。家族は、「死んだのは舌の傷が原因」として、施設の責任を追及する構えですが、事務長は謝罪するだけで「補償については給食事業者が責任を持って行う」と言うばかりで、無責任な施設の態度に腹を立てた家族は、裁判を起こすと言っています。
《事例検討解説》
■応急処置に手間取り適切な傷の治療が遅れた
ガラスで切った舌の傷を処置した経験がある看護師は少ないかもしれませんが、舌の裂傷に対して看護師の応急処置は正しかったのでしょうか?傷は浅いのですから止血をして傷がすぐに治れば問題ありませんが、口腔内の傷はもとより舌の傷は大変厄介です。ガーゼによる圧迫で血は止まっても、強く洗うと再び出血してしまいます。また、傷の治りが悪ければ経口摂取に支障が出て、低栄養や体力低下など他の問題を引き起こします。
本来は、すぐに炭酸ガスレーザー治療ができる歯科を探して、迅速に受診すべきだったのです。口腔外科を受診しなくても、炭酸ガスレーザー治療ができる歯科医院は、比較的簡単に見つかりますし、レーザー治療は歯茎や舌の傷に対して止血効果や鎮痛効果にも優れ、傷の治りも早くなります。ガーゼで圧迫して止血し、軟膏(ケナログなど)を塗っても、強く洗えば軟膏の効果は無く再び出血してしまいます。本事例では、舌の傷の処置の間違いがその後の傷の治りにも影響して、最悪の結果につながってしまったのです。
しかし、施設の看護師がこの厄介な口腔内の傷の処置について、必ず知識を持っている訳ではありません。ではこのような場合どうしたら良いのでしょうか?緊急性も重篤性も無く救急車の要請の必要が無い場合でも、処置が難しい場合は「119番に相談する」と決めておくと良いでしょう。119番に電話して「私は看護師ですがガラスで舌を切ってしまった患者の処置について聞きたい」と言えば、処置のアドバイスや専門医の紹介など様々な援助をしてくれるのです。消防局では不要な救急車の出動を減らすために、相談機能を強化していて、医療資格者からの処置の相談などにていねいに対応しています(東京都や横浜市は相談センターを立ち上げています※)。
※東京都:救急相談センター(#7199または03-3212-2323)、横浜市:救急医療情報センター(#7499または045-227-7499)
■ガラス片による舌のケガで肺炎による死亡につながった
家族は、「食事へのガラス片の混入によるケガが死亡と言う結果につながった」として、施設側の過失責任を問う構えですが、施設は過失責任を問われるのでしょうか?もちろん、食事への異物混入によるケガですから、施設側の過失があるのは明白ですし、舌のケガについても施設の責任は免れないでしょう。しかし、舌のケガと肺炎で亡くなったことに因果関係があるのでしょうか?死亡したことも、施設側の過失と言えるのでしょうか?
法律の専門家ではありませんので確実なことは申し上げられませんが、おそらく裁判になったら死亡に対する因果関係が認められる可能性も強いと思われます。因果関係の認定のポイントは次の3点です。
①舌の傷の処置を誤ったことが原因で、経口摂取が困難になり経鼻経管にしていること。
②重度の認知症の利用者に対する経鼻経管では、栄養剤が気管に侵入するリスクが高いこと。
③経鼻経管にして4日後に急性肺炎を発症していること。
特に、「舌の傷が回復するまでしばらく経鼻経管」と、重度認知症の利用者に対して、安易に経鼻経管を選択していることに問題があります。いずれにしても、施設では因果関係があるとの前提でていねいな対応を徹底しなければなりませんでした。
■事故の対応を業者任せにして家族トラブルを大きくした
次にこのトラブルで家族の感情を逆なでにしたのは、施設側の無責任な対応、すなわち給食業者に被害者対応を押し付けてしまったことです。たとえ、事故の原因が給食業者の過失であっても、施設は被害者に対して「給食事業者に賠償請求して下さい」と主張することはできません。なぜなら、施設と被害者は入所契約という契約関係にあり、被害者はこの契約関係に基づく安全配慮義務違反を理由に賠償請求をするからです。
施設は契約当事者として過失責任(損害賠償責任)を負いますから、過失があるのであれば施設が直接被害者に対応し、直接賠償金の支払いを行わなければなりません。給食事業者の過失の責任を追及するのは、給食事業者と請負契約の関係にある施設の役割であって被害者ではありません。
最近では、施設は送迎車両などでも外注の事業者を使うことが多くなりましたが、外注業者が起こした事故でも、施設業務であれば施設が直接責任を負わなくてはなりませんから注意が必要です。
■厨房の安全管理を給食業者任せにしている
最後に施設は外注の給食事業者に対して、異物混入防止などの事故防止対策を任せきりにしています。給食事業者に「二度とこのようなことが起きないよう厳しく注意」すれば、再発を防止できるでしょうか?実は、外注の給食事業者による食事への異物混入は頻繁に起きており、大きな問題なのです(皆様の施設でも心当たりがありませんか?)。
ハッキリ言えば、給食事業者に注意したくらいでは異物混入は防止できないのが現状です。施設で異物混入のための厳しいルールを作って、「守れなければ外注契約は破棄」という厳しい姿勢で臨まなければなりません。参考にある施設が作った異物混入防止のルールの一部(食器や容器の破損)をご紹介しましょう。
①食器や調理用具が破損したら(床への落下でも)、破損場所から3m以内の食材と料理を廃棄する。
②3m超離れた食材や料理は2人で目視チェックし、混入が確認されたら全ての食材と料理を廃棄する。
③調理台より高い位置で破損が起こった場合は、厨房内の食材と料理を全て廃棄する。
④事故により食事の提供が不可能な場合は、代わりの事業者の責任で代わりの食事を手配する。
⑤事業者が代わりの食事を手配できない場合には、レトルト食品などを施設で調達して提供する。
本事例では、厨房でミキサーを落としてガラスが飛散したにもかかわらず、「調理済みの料理を廃棄する訳には行かない」として、そのまま料理を提供したことが分かりました。料理が提供できないとなれば信用に傷が付きますから、安全を優先できなくなってしまうのです。外注事業者と施設で協力して事故を防ぐ体制を作ることが必要です。